聖書、デザイナー、一人暮らし

地方に住むデザイナーです。聖書を信じています。一人暮らしです。その記録です。

やだなとしか思ってない最近

何もわからない、何もはっきりしなくて焦ってる

 

確かなものがほしい

 

30代前ってそんな感じなの?

 

私は何を焦ってるの。

 

結婚、出産、仕事の成功、

どれも欲しくない。

目の前を生きるだけで精一杯。

だけどやらないと、それは親不孝になるのかなとか

人として大丈夫かなとか

 

ふあんになるよ

そんなあせり。

 

最近聖書も上滑りしていく

わたし、かみさまとうまくじかんつくれてるかな

28才で何かを決断するには早すぎる

まちづくりの仕事で個人事業主になって4年目になるが、

基本的なスタンスは変わらない。そこに住む人がよりよく暮らせるように、最初のエンジンかけるお手伝いをする、少し離れたスタンス。

仕事で一緒になる地域で、そこの仲間になるようで、実際は、そんなに頻繁に毎回行ける訳でもないので、やっぱりそこは私の場所ではない。

 

2週間ほど別の仕事でその地域に行かないでいて、ふとfacebookを見てみると、しっかり色んな取り組みや活動が行われていて、みんな色んな工夫をしながら、色んな仲間と協力しながら、元気に楽しく活動を続けられている。

 

寂しさもあるけど、これが正解だ。

三者やコンサルが入らなければ何も活動が起こらないようなまちづくりは問題だから。

私がいたとしても、いなかったとしても、淡々と前に進んでいくまちになって貰わなくては。

だから、この寂しさは胸にしまって、彼らが、あの街が今後も自分たちで進んでいけるように、第三者として黒子として、支えていけたら良いのかなと思う。

いつかは私はそこから忘れられることが目標だ。

 

人は多かれ少なかれ、関係が濃くても薄くても、コミュニティに帰属しなければ生きていけない。物理的にも、精神的にも。

自分のアイデンティティとまでは行かなくても、自分の「居場所」と感じられる場所があるからこそ、人は安定して生きていくことができる。

自分の居場所を家庭だけ、仕事だけにおいておくと万が一何かそこで起きた時に、自分の居場所、存在意義ですら失いかねない不安定さがある。

だからコミュニティ、社会においての居場所も、家庭、仕事に加えて作っておくことは、生存戦略でもある。

 

しかし、そんなことを言う私こそが、社会に居場所があると感じられない。人付き合いが苦手だからだ。まちづくりに関わる人間が、人付き合い苦手とか笑ってしまうかもしれないが、要は、そんな私でも安心して暮らせる理想のまちと、理想の暮らしを実現したいからこそ、まちづくりに取り組んでいる。

だって私みたいに息苦しさを感じている人は、もっといっぱいいると思うから。私が生きやすくなれば、みんな生きやすくなるんじゃない?と思う。

「なんかそれ変だなぁ」と思うことを、ゆるゆると変化を起こして行って、「自分がやりたいことを選ぶ。相手のやりたいことも尊重する」という価値観が広がればいいと思う。

 

地域が自走し始めて、一抹を寂しさを感じるとともに、ふと、私の居場所的なものも失ったかのような、拗ねたような感情になることも確かだ。

やっぱり私の居場所じゃないね、と諦めるというか。

 

いやいや、自分の居場所を作り出すためにこの仕事をしていたとしても、その地域に自分の居場所を見出せなかったからと行って、拗ねることはないでしょ、と自分では思うが、そう思ってしまうことは止められない。

 

本当は、別に、そこに居着きたい訳ではないこともわかっている。ただ失った直後、離れた直後の、エンプティー・ネストとでも言うべき寂しさからきてる。

もし、そこの地域に入って暮らす道が開かれたら…と思うがいまいち想像がつかない。強い動機もない。

 

私はどこにも帰属しない、とふと思う時の安心感と、一方で、この先どうするんじゃ、と言う漠然とした不安。

先日28才になったばかりだ。取引先のおじさまや、私の先生が結婚した年齢だそうだ。あいにく私にそうなりそうな相手は居ない。結婚する気も起こらない。

なんだか優しくしてくれる人はいるけど、一緒に暮らしたいとは思わない。

 

迷って迷ってばっかりだ。

28才で決断できた人ってどうして決断できたんだろう。

逃したくないものがあったからなのかな。

 

私はどうしても逃したくないものがないから、

流れるがまま、離れるがまま、近づくままに暮らしている。

 

この先こんな感じで暮らしていけるのか?と不安に思わないけど、こんな感じで暮らして行って「いいのかな?」とは思う。私、もうちょっと頑張って考えて、足を一歩踏み出した方が良くない?って自己ツッコミ。

 

唯一、決断といえば、迷って迷って迷いはするけど、

私は後悔しない、と言う決断というか、確信がある。

 

「あ、もったいな!」という感じで一瞬の失ったり逃したことのその場の後悔はあるかもしれないけど、

「あの時ああしておけばよかったのかな…」なんてことは思わない確信がある。

その時やりたいと思ったこと、やるべきと思ったことを常にやっているから。

やりたくないな、なんか嫌だな、ということは、素直にやめているから。

会いたいな、と思った人には会いに行き、大切にしたい人を大切にしているから。

失敗しても、自分がどうやってもその時はそれが100%の頑張りで、次どうすればいいかも見えてきているから。

 

 

どこに住むとか、誰と暮らすかとか、どんな仕事するとか、

そんなことは私には決断できない、決断できる判断材料がない。浅薄な経験と知識と情熱でで決断したくない。

 

でもどんな選択をこの先して行ったとしても、後悔しない、自分の選択を受け止めることができる。もっとできるようになるぞ、という決断。

 

ひどいことをいった自分とまだ向き合えそうにない

余裕がないのかな。

一生口つぐめよおまえ、

って思う、

 

もっとかしこくなりたい。

もっとだれも、わがままに傷つけないようにしたい。

 

 

けんきょになりたい。

おなかいたい。

自分にあきれるや。

傷を克服した人に出会う

その人は、たぶん傷を克服してる。

 

私はもしかしたら、傷を克服した人に出会ったのは、先生と会わせてこれが二人目ね。

傷を克服した人は怒らない。変なことで怒らない。全うなことで怒る。

 

その人は既婚者で、私は好きになったけど、

友達に話して、どうにかなりたい訳じゃないってわかった。

ただただ、そのひとがすき。

何でそんな風になれるのか気になる。

 

どうやったらそうなるのかなって色々聞いてしまう。

なんでなんで。なにがあなたをそうさせたの?

と聞いてしまう。

 

由来を聞くのが好き。

そこに何か気付きがあったときもっと好き。

ああ素晴らしいね、とおもう。

 

人が何かに気付きを得て、真実の片鱗を見て、よろこぶことほど、

みていてうれしいことはないでしょ。

だって、そこに、神様の発見があるから。

かみさますげえな!ってなってることだから。

 

よるねるのがこわくて、

おちこんで、なやんで、

いきていくのがたいへんで、めんどうで、

ひとりでいきるのがたいへんなのに、誰かの人生もおえなくて、こどものなんかもってのほかで、

こどもつくってそだてるよりも、かいけつしないといけないことが、こんなにやまのように、めのまえにあるよ?

とおもってしまう。

 

わたしはけっこんしなくて、こどもそだてなくても、

みんながやってくれたらいいんじゃないの?とおもってしまう。

わたしはべつのことでしゃかいこうけんするからさ。

 

かみさまは、わたしをはなさない。

つねにわたしがひつようなひとのところへつれていってくれる。

かみさまは、わたしのだいじなみちしるべ。

かれにあわせてくれてありがとう。

彼の態度や言動から、たくさんのことをまなぶよ。

 

 

28才になったからといって、なにも変わらない

昨日は誕生日だったというのに、うだつの上がらない日々。

誕生日だから素晴らしいことが起きるわけではない。

自分の誕生日なんて忘れてしまいたい。

 

祝うことの虚しさが苦手なのだ。

誰かと静かに美味しいケーキが食べたいだけだ。

誰かと一緒にいたいだけ。

 

昨日は、その人と一緒に出張で、一緒にずっと、彼の運転で隣に座っていた。

いろんなことを話したよ。

あなたの様になれるには、あと20年かかりますかね。

 

話題を振るにしても人にレッテルを張る様な発言をしては、センスがない、と反省した。

 

私はあなたを敬愛しているのかもしれない。

それこそ父の様に。タイムリーな父親ではないけど、

でも多分、彼も娘さんがいるから、私を大きくなった娘の様にみているのかもしれない。

そんなに年が離れた部下がいるってどんな感じだろう。

私の先生は、いつも適当で、一緒にいてくれるけど、組織でいるってどんな感じなのだろう。

 

なんだか彼にとっても興味が湧くんだけど、恋愛とはまた別なのもわかってて。

とても惹かれるけど、彼が疲れているのもわかっていて、

道中そっとしておく。話した方がいいのかな、とか焦ったり、

なんでドキドキするのか考えたり。

眠いな、と思ったり、

きっと彼は隣で、疲れたな、早く帰ってご飯食べたい。と思っているに違いない、とか思ったり。

 

 

母との喧嘩のことも話した。

親ってそうだよ、親になればわかるよ。

と言われた。不思議と嫌な気持ちはしなかった。

でも、私はわかろうとは思わないし、子供に介入したいとも思わない。

自分の子供だろうが、相手の子供だろうが、関係ないし。

 

でも、自分が子供育てる自信もない。

誰かと生きる自信もない。

誰かの家族を背負うのも無理。

 

この人は、淡々と、誰かとともに生きる幸せを受けて、

家族との時間を喜び、社会に還元しようとしている。

その淡々と幸せを楽しんでいる姿が、とても好き。

 

聖書に書かれている様な人だ。

誰か他者のために、一生懸命に働く。

私にはできない。

 

あなたはとても凄いです。

私が今まであった人の中でとても凄い。

そんなあなたが好きです。

 

そんな風な人と結婚できるかな。

でもスーパー忙しい人だから、多分、私嫌になるかな。

私は一緒にお昼寝してくれる人が好きだな。

置いてかないで、一緒にいてくれる人。

自分の時間は必要だし、仕事も続けるけど、

一緒にソファーで眠ってくれる人。

私との時間を喜んで持ってくれる人。

 

きっと答えなんて出ない。

お姉ちゃんの言う通り、選択であり、解釈であって、答えはわからない。

 

どう生きるか、結婚や生きることになんの意味があるかなんてわからない。

その人がそうだと思えばそうなんだろう。

不完全なシステムの中で生かされている意味もわからない。

それによって苦しんだ私、苦しむ人がいることがそうだとしても、

なんでなんて、聞いたところでわからない。

 

とても眠い。

ホッピーは美味しい。

明後日は好きだった先輩に会う。

でも決して彼とは一緒にならないだろう。

きになる後輩くんもいる。

でも彼ともそんな仲にはなれない、ならないだろう。

 

私と一緒にお昼寝してくれる人と結婚しよう。

今後私とだけ結婚して、お昼寝してくれる、働き者が見つかると良いのですが。

 

どうしても眠れない夜、一緒に布団に入れてくれるクマみたいな人がいい。

 

思春期が来たのかもしれない。

今日はその人と出張だった

やっぱり良くできた人だなと思う。

 

奥さんが東京に遊びにいくのも、干渉しないって。

子供が傷つく言い方もしない。

 

良くできた人だ。

忙しすぎたり、野球ばっかしたり、飲みすぎたりしても、

でも、良くできた人だ。

成熟した人だなと思う。

 

そんな人と結婚できたらと思うけど。

そんなひといるのかな。

 

結婚の話もう少し掘り下げて聞いてみればよかったな。

たぶん結婚やあたたかい家庭にゆめを持ってなかったから、あれだけ子煩悩で、家族とのコミュニケーションがよくとれてる。

期待してなかったから。

 

 

そんな人となら結婚したいと思うけど、そんな人いるのかな。

孫が見たいそうです

明日は誕生日。私の母は、孫が見たいと言う。

諦めてください。といってある。

 

いつか一人で、叔母みたいに寂しくなるよ?といわれる。

 

そうやって比較してる時点で失礼だと思う。

 

 

一人が寂しいんじゃない。

一人が受け入れられないのが寂しいのだ。

 

一人より二人のほうが、困難に立ち向かうとき心強い。三つよりの糸は簡単には切れない。

 

でも、ひとりだとしても、仲間がいる。

その人が結婚相手である必要の意味って、考えないといけないんじゃない?

 

何で人は結婚するの?

 

その人と添い遂げる覚悟じゃないの?

ひとりより、その人といた方が、いろんなものを分かち合えると思うから、するんじゃないの?

それは友達や恋人とどう違うの?

 

家族だから、失礼なことしていいの?

そんな人とだったら結婚したくない。

 

私を大切にしてくれて、

私も大切にできる人と結婚したい。